人ごこち

住民メッセージ

諸塚加工センター職長  福田圭喜

プロフィール

福田 圭喜さん(諸塚村在住 職業:諸塚加工センター職長)

耳川広域森林組合諸塚加工センターの職長であり、諸塚村で妻と2人の子どもの4人で暮らしています。福田さんは、日向市内の高校を卒業後、宮崎市の工務店で大工として働いていましたが、22歳の時に、地元諸塚村にある加工センターで働くことを決意しUターン。以来、加工センターに40年近く勤務しています。勤め始めた当初は、給料は現金支給だったのに、いつしか振り込みになり、今では紙切れ一枚を渡されるのが少し悲しいのだそう。また、加工センター自体も、約40年前は、諸塚村森林組合諸塚木材加工センターだったのに、一市二町二村にあった森林組合が広域合併。名称も現在の耳川広域森林組合加工センターへと変わりました。長い時を同センターで過ごし、楽しかったことや悲しかったことなどさまざまなことを、仕事を通して経験したそうです。

福田さんにお話を伺いました。

仕事について

私は木材加工センターの職長をしています。事務所での事務仕事をはじめ、加工センターの機械の修理、製品管理や出荷まで担っています。平成17年、当時の加工センターは国道327号に隣接した耳川沿いの第1工場と、山を切り開いた第2工場がありました。しかしその年に発生した台風14号により、第1工場は被災し、第2工場だけで操業するという時期がありました。その時は、朝は5時から夜は8時まで操業。夏場は過ごしやすかったものの、冬は夜が明ける前から日が暮れた後までだったため、寒くて寒くてたまらないなかで、仕事をしたことが忘れられません。現在は、第1工場はなくなり第2工場が加工センターとなっています。再び多くの被害があった令和4年の台風では、センターが被災することはなかったのですが、原木が入らなくなり思うような製品を作ることができないでいます。そんななかでも、職員一同でアイデアを出しながら、少しでも良い製品を出荷できるように頑張っています。

諸塚加工センター職長  福田圭喜さん写真2

諸塚村の魅力

村内の住民は、何かにつけて共に支え合って生活しています。仕事の紹介でも触れた今回の台風災害で、支え合っていることをより強く感じました。村内で生活する者同士で共に汗を流し、生活道路の確保や浸水を受けた中心部の店舗の土砂除去など、家族や職場の垣根を越えて作業していました。困っていたらお互い助け合い、地域の人が優しく皆が家族のような付き合いをする、そんな暮らしができるのが魅力です。

諸塚加工センター職長  福田圭喜さん写真3

移住者へのメッセージ

大自然の中で生活するのは大変そうに思うかもしれませんが、生活するうちに新しい発見などもあって楽しくなってくるはずです。都会のように便利さはありませんが、不便さのなかにも新しい発見をすることができます。ぜひ、諸塚村に移住して新しい発見をしてください。